五月人形作家
鎧の歴史と種類
●鎧の歴史
中国大陸から渡ってきた挂甲(けいこう)甲冑が日本風に発展し、 日本の仏具製作の技法が用いられ、所謂、「国風文化」の中で 日本独自の甲冑へと進化を遂げましたが、その正確な時期は明らかではありません。
現在の研究では、平安時代とされています。
平安時代~鎌倉時代の合戦形式の主流は、馬上での弓矢の打合いでした。
上級武士が着用する鎧として大鎧が普及しました。 その後、南北朝時代には集団戦に伴う徒歩による接近戦が主流となっていく中で 胴丸や腹巻が用いられ、大鎧は実戦からは姿を消していきました。
安土桃山時代には、それまで主流だった甲冑と比べ現代風という意味を込め 当世という名前のついた当世具足が主流となっていきます。 集団戦により兵の数が増えたため、生産性の高いもの・戦い方の変化により鉄砲戦が主流になったことなどが理由です。
ヨーロッパの影響を受けた、南蛮甲冑もそのころのものです。 戦乱の無くなった江戸時代には、鑑賞用の鎧として大名家などで象徴的に 大鎧が飾られるようになったと言われています。
●鎧の種類と変化
大鎧:
平安時代~鎌倉時代
騎馬戦用
胴の構造が、正面・左側面・背面が一続き
草刷り:4枚
胴丸:
平安時代~鎌倉時代
殆どが徒歩用。 時代が進み、騎乗の武士も着用するようになる。
胴の構造が、一続き。
草刷り:8枚
具足:
安土桃山時代~
徒歩集団戦用
胴の構造が、板札(いたざね)・繋ぎ目の蝶番が使用される
豆知識 鎧を数える時の単位:「領」
●経済産業大臣指定 伝統的工芸品について
消費者が伝統的工芸品を安心して購入できるよう経済産業大臣が指定した技術・技法、原材料で製作され、
産地検査に合格した製品の証です。
1:主として日常生活の用に共されるものであること
2:製造過程の主要部分が手作業であること
3:100年以上継続する伝統的技術・技巧により製造されて いること
4:原材料の全てが伝統的に使用されてきたものであること
5:一定の地域で産地を形成していること (地域内に10企業以上または30人以上の従事者がいること)
五月人形選びのポイント
甲冑には、①武将シリーズ ②国宝模写 ③作者オリジナル 三種類のジャンルがあります。
勿論、どれかが良くてどれかが悪いということはございません。
好きな武将やご出身地の武将など縁や所縁のある武将などで探される方も多くいらっしゃいます。
初節句をきっかけに、ルーツを辿ってみるお客様もいらっしゃいます。
国宝の模写のシリーズでは、 金細工が実に繊細で見事なものもございますので、 ご覧になっていても飽きない と思います。
製作者のオリジナルの甲冑は、製作者によりガラッと印象が変ります。
何れにせよ、長年飾って頂くものですので、 お選びになる方が気に入ったものが最高なものになります。
材料や製作工程などにより、お値段の高い・低いが出てきますが、 ちゃんと理由があることですので、ご確認されることをお勧め致します。
古くから続いている行事ですが、見慣れるものではありません。 ご不明なことも多数でてくると思います。
そんな時は、信頼できる(できそうな)お店を見つけて、その店員にざっくばらんに相談されるのも良いと思います。
お店選びに際して・・・ アフターサービスはどこでも請け負う当然のサービスですが、 重要なのは、『気軽に頼めそうか?』ということです。
『担当された販売員は相談にのってくれそうか?』『お店として、メーカーに直接話しができそうか?』など、
意外と見落としがちな点ですので、御注意が必要です。
色々なお店を回ってお話をされると思いますが、 『人形屋と話しをされる機会はそう無い』と思って頂いて、 どんどん話し掛けてみても楽しいと思います。
・・・ちなみに、当店では積極的に話し掛けますが、 押し売りは致しませんのでご安心下さい。
皆様が良い甲冑やお人形と巡り会え良い初節句並びに今後良いお節句を迎えられることをお祈り致します。
端午の節句の由来
端午の節句は、菖蒲を用いて邪気を払う節句です。
菖蒲を尚武と言葉遊びをし、武士が好んで節句を祝ったとされています。
鯉幟や武者絵幟などの『外飾り』と、鎧・兜などの『内飾り』があります。
本来は、両方飾るそうですが、昨今の住宅事情等からどちらかのみというお客様が
増えてきた印象があります。
鎧兜の吹返しや、屏風の絵柄などにトンボが用いられることがあります。
トンボは飛ぶときに前に進みますが、後には飛びません。
そのことが転じて、『後ろに退かない』ということから縁起の良い虫としてされてました。
ご長男であっても、鎧でなければいけないということはございません。
五月人形や、つるし飾りでも良いものです。
肝心なことは、お子様の健やかな成長を願う心だと思います。